2008/08/30

Kunsan Korea

24時頃
around 24:00
  

 
 
工場を渡り歩いていると、様々な国からの’出稼ぎ労働者’と出会う。
 
タイ、ウズベキスタン、パキスタン、中国(最近減ったナ)、モンゴル 等等…
 
大抵2年程勤めて祖国に帰る。
  
 
ある韓国の工場でのこと、
 
バングラディシュからの出稼ぎ2人組。
 
年の頃は当時22歳位だっただろうか。名前は忘れた。
 
褐色のインド系。笑顔の気持ちの良い若者二人組みで、英語もカタコトながら
話すこともあり、訪問する度に挨拶を交わすようになった。
 
「どこにすんでるの?」との僕の問いに。
 
「そこそこ」とニコニコしながら、指をさしたのは工場に隣接する、
ずっと倉庫だと思っていた、コンテナを改造した即席家屋。
 
「会社が用意してくれたんだよ」とニコニコと話す。
 
「そっかー」と相槌をつく僕に、
  
「2年程働いたら、国に戻って結婚して家を買うんだ」と話してくれた。
 
よく働き、よく笑い、言葉の通じない異なった文化に溶け込もうとする姿勢は、
殺伐としがちな工場の風景に、暖かなほのぼのとした表情を与えていた。
 
 
彼らが工場に現れてから1年半を少しすぎた頃だっただろうか。 
ある日毎度の様にその工場に立ち寄ると、その若者たちがみあたらない。
 
別の工員に尋ねると国に帰ったと言う。
 
VISAに問題が生じた事を心配したが、そうではないようである。 
 
マネージャーが事の経緯を説明してくれた。
 
工場の給料の支払いは月末。
工業地帯に置かれたコンテナを住居にしていると物騒な事が起こらないとも
限らないので、二人の若者は差し出された給料のうち、その月の生活に必要な
分だけを手元に持ち、残りは全て会社の経理に預かってもらっていたらしい。

ある給料日の週末のこと。 
1年半の溜まった金を確認する為、全額をコンテナの家に持ち帰りたいとの申し
出があり、経理の担当者はその分を渡し「お疲れ様」と二人を送り出した。
 
その夜は二人で1年半の労いと帰国してからの夢を話しあったのではないかと想像する。
 
翌日の朝。二人して買い物にでかける事になり、コンテナの家をでた。
その間約2時間位か…
 
もどってみると、何か工場の方が騒がしい。
嫌な予感がムネに立ち昇り急ぎ帰ると、1年半住み慣れた家が燃えている。
 
消防車の放水の音と消火作業の怒号が辺りに虚しく響く…
 
 
 
火の不始末を疑われたが、原因は電気牽線のショートからの引火と判明した。
なす術もなく全てを火に奪われた二人は失意のもと帰国した。
 
 
長い月日のうち、たった1日だけ持ち帰った全ての労働の代価が、
その日たまたま起きた偶然の所為で灰塵と帰す。
この世にしばしば起こる理不尽さそのものである。
 
 
隣で一緒にその話を聞いていた韓国人のツレは大爆笑していた。
… 人格疑うゼ全く…
 
 
何かの折にフと思い出す。あの二人どーしてるかな?
若さのバネで失意を跳ね除けてくれている事を切に願う。 ニコニコとね。
 
 
 

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2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

世の不条理ー何故その日に限り・・・何故たった数時間のうちに・・・何故純粋に真面目に生きる者が・・・
許せない甘い汁を吸ってる人間だって数え切れなく生きているのに。不平等渦巻くこの世の中。
夢を抱いて、真っ直ぐ生きる二人が今、前を向き暮らしていますように・・・本当に笑顔でね。bt

Dasmy さんのコメント...

モンゴルの大学を卒業したにも関わらず、妻子と離れて出稼ぎしてる人もいます。
そうゆうの見てるとやっぱ日本は恵まれていると再確認します。
少なくとも喰っていくだけならいくらでも仕事はあります。
問題は一度享受した生活レベルはなかなか下げられないところにあります。
生活レベルを下げない事を目標に働くようになると、人は不幸になる気がします。