2008/08/07

Otaki

wishing an abundant harvest
豊作祈願
 

 

 
 
数年後、穀物類が宝の山になる可能性もあるらしいですね…
  
  
  
さて、
 
 
-夢ー について…
 
 
幼かった時分、3年ほど埼玉の南桜井という東武野田線沿線の土地に
住んでいたことがある。
  
世の風潮としてまだ、如何な郊外であっても土地付き一戸建てに住むことが、
勤め人の公然の夢として語られていたように思う。
 
父親の会社は丸の内にあったので、毎日片道約2時間をかけて通勤していた
であろうから、如何にマイホーム取得が1つの目標となっていたかは想像に難くない。
 
最近になって当時、この南桜井とは別に、舞浜近辺の開発が始まっており、どちら
を購入するか迷ったというような話を聞いた。
 
どうせならば舞浜のほうが全くもって便利であったろうに、と他人事の様に思うので
あるが…
  
まぁーそれはさておき…  
 
この南桜井という場所。当時の様子は、今となれば楽園の如き土地であった。
  
約3km以上ある校舎までの農道を7,8人の学童で集団登校する。
子供の足であるから、毎朝たっぷり30分はかかったであろう。
校舎は木造2階建て、教室から廊下に至るまで全て木造であった。
  
(余談ではあるが、この当時沿線東武野田線の車内床も木造であったように
記憶している。まったく贅沢なことである。)
  
川にはタニシがいた。 ヘビの抜け殻を棒にさして練り歩くのが流行りであった。
 
稲刈りの時期が終わると、雨が降らなくとも長靴を履いて登下校する。
農道を避け、田んぼの中を斜めに横断することで、近道をする為である。
ザリガニ釣り競争が始まるのでかえって時間がかかる。
 
日が暮れるまでカブトムシを追いかけ、夜7時過ぎに帰宅することも普通であった。
 
濃厚なオレンジの夕暮れに染め上げられた、見渡す限りの田園風景を今でも忘れない。
 
 
ほどなく、あまりに長すぎる通勤時間に嫌気がさしたのか、3年ほどでこの土地
から離れる事となる。通勤時間30分圏内の所謂ベッドタウンである。
 
十数年後この地を訪れる機会があった。
あれだけのどかであった田園風景も開発がすすみ、校舎は鉄筋製、農道も舗装
され、田畑は住宅街へと変わっていた。
  
 
まるで幻を見ていたかの如く立ちつくす。
  
夢のマイホームである。
 
 

Posted by Picasa

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

文面に、昔懐かしい風景が手に取るように伝わってきました。
こんな幼少期の想い出を持っているのは
大きな大きな宝物。
大きく様相を変えたこの年月、現代っ子が成長した日、夢をみていたのかと思わせる昔が少しでも存在するのか・・・
大人への課題は山盛りデスネ。bt

Dasmy さんのコメント...

モノゴトにはウラとオモテがあるので、当然
夢のカタチもヒトそれぞれだと思います。
そうゆうことがわかってのみこめる様になりたいです。(笑)